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大学での英語教育(2015/2/6の記事)

 大学での英語教育あるいは教育の英語化は、現在、さまざまな議論を引き起こしながら、大きく展開しつつある。大学教育の問題の一つの典型・象徴的事例がここにある。
  『長周新聞』(第7691号、2015.2.2)の第四面の書評で、山田昇司『英語教育が甦えるとき──寺島メソッド・授業革命』(明石書店)が、取り上げられていたので、書評から少し抜粋しておきたい。

「今、政府・メディアを通じて、英語がすべての日本人に必要であるかのような「幻想」がふりまかれている。本書は、日常生活において「日本人みんなが英語を使う必要はない」というあたりまえの事実を押し出している。・・・英語をしゃべる必要がないことは、欧米諸国に侵略された歴史を持ち英語を話さねばならない国の人々と比べてありがたいことなのだ。」
「外国語の理解度はその人の翻訳力にかかっている。なによりも、日本語の力をしっかり深く身につけなければ、英語の力がつく保証はないのだ。」
「戦後、占領期のアメリカの機密報告で、日本人の英語学習を受け入れる性向を利用して、「健全なアメリカの理念」(アメリカ的な価値観)を日本社会に浸透させることを明記していたことにもふれている。」
「英語の授業だけは英語で教えろ」について、「「英語を国家の言語とする強者の国」が押しつけた教育方法」

 高等教育が母国語で受けられることが大きな恩恵であり、日本人が外国語を習得する際に日本語の習熟がその基盤になることなど、同感できる議論が少なくない。しかし、共通の学的言語の存在が学問の相互交流にとって重要であること、それが英語において一定確保されていることも忘れることはできない(こうした状況も、近未来において技術的に解決されるかもしれない。スマホなどを介した同時通訳システムの確立・普及は決して夢ではないし、しかも無料である)。
 とこかくも、教育をめぐる議論の政治性に注目しなければならないことは確かである。
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本ブログでは、2016年度から(18年度まで)開始の科学研究費による研究「拡張された自然神学の具体化としての「科学技術の神学」─東アジアの文脈で─」に関連した情報を掲載してきましたが、今回、その内容を現代キリスト教思想に関わるものに変更することになり、ブログ・タイトルを「現代キリスト教思想の諸問題」に変更することにしました。しばらくは、具体的な掲載内容をめぐり方向を探りたいと思いますが、徐々に本格化させてゆきます。

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