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原子力と哲学

 福島原発事故以降、あるいはそれ以前からも、原子力に象徴される科学技術の問題は、現代思想の重要なテーマであった。哲学に於いても当然そうである。
 日本における哲学者の議論として、次の文献を取り上げたい。

一ノ瀬正樹
『放射能問題に立ち向かう哲学』
筑摩書房、2013年。

はじめに──3・11という転換点

第1章 低線量被曝とがん死
第2章 「放射能」というイコン
第3章 放射能と人体
第4章 安全と安心
第5章 因果関係への問い
第6章 確率と因果関係
第7章 年間一ミリシーベルト
第8章 予防原則の問題性
第9章 借金モデル
第10章 LNT仮説と不可断定性
第11章 「道徳のディレンマ」を生き抜く

おわりに──なぜ哲学が放射能を論じるのか


参考文献

 第4章では「100ミリシーベルトと1ミリシーベルト」という節が含まれ、第7章はずばり「年間1ミリシーベルト」という仕方で、停線量被曝の問題が取り上げられている。福島原発事故以前から、放射線障害防止法で、一般市民に被ばく限度は「年間1ミリシーベルト」とされ、放射線障害防止法では、病院のレントゲン室内などの放射線管理区域でも「年間5.2ミリシーベルト」されていた。
 しかし、この法的基準はそのままにして、2012年12月に福島県伊達市などの特定避難歓奨励地点が解除されたときの政府の提示した理由は(2014年12月に南相馬市も解除)、除染によって線量が年間20ミリシーベルトを下回ったというものであった。この決定をめぐっては、激しい論争となっている。この状況は哲学的にどのように議論できるのか。科学、法、道徳・・・これかはいかなる関係にあるのか。
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Author:LogosOffice2
本ブログでは、2016年度から(18年度まで)開始の科学研究費による研究「拡張された自然神学の具体化としての「科学技術の神学」─東アジアの文脈で─」に関連した情報を掲載してきましたが、今回、その内容を現代キリスト教思想に関わるものに変更することになり、ブログ・タイトルを「現代キリスト教思想の諸問題」に変更することにしました。しばらくは、具体的な掲載内容をめぐり方向を探りたいと思いますが、徐々に本格化させてゆきます。

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